ユメウツツです。つれづれ労働者日記。
先日、職場のある政党を中心とする組合の役員から、集中砲火をあびた。
私が青年部で決議して実行したあることについて、約10人くらいで囲まれて、「ルール違反」と言われた。
何がルール違反なのかわからないが(というかルール違反じゃないし)、とにかくその場だけの「数の力」でそう言ってきた。
順番順番に「客観的に見てあなたが悪い」「客観的に見てルール違反」「私たちの信頼をこわしたのはあなたのほう」と来る。
私の言い分にかぶせて怒声をあびせる人までいたのに、私がちょっと言い返すと代表者が軽く笑いながら、「ちょっと、人の話は最後まで聞かないと」。
まあ、人の話は最後まで聞いたほうが良いのは良いですね・・・。
けっこう、その場は「キツイな〜」と思った。
私は何があっても絶対に引かないという決意で、反戦も労働組合も活動している。
でも、大勢に対して1人になったとき、すごい孤立感があった。
大勢が自分をナイフで切っていくようなすさまじさがあった。
だって、その責められていることは、自分が一番大事にしていることだから。ゆずれないことだから。
どうでもいいことなら諦めればいいし、悪かったと思ったら謝ればいい。
でも、そのことは、私には絶対にゆずれないことなんだ。
それは、戦争止めるために、基地建設止めるために、労働者が団結するために、ゆずれないことだった。
心の中で、「自分は絶対悪くなんかない!」と叫び続けてはいた。
でもその場では全く通用しないのだ。
とりあえず、その場を離れてから、職場の青年労働者たちに相談に言った。
その全員が「(私は)悪くない」「そういうよってたかって責めるやり方はおかしい」と言ってくれた。
それでやっと「あ、そうやったな。悪くないよな。」と確認できた。
ほんまに仲間に救われた。
閉鎖された状況で自分が孤立すると気弱になる時もある。
不当逮捕されて取り調べられてるときもこんな気持ちなんかなと思った。
何が言いたいかというと、
私は改めて、自分の信念に確信を得ました。
そして、過去、現在、同じ思いをしてきた人たちへの連帯感がますます強まりました。
パリコミューンで虐殺された人も、韓国の搾取と闘う女性労働者も、動労千葉の労働者も、関西生コンも、ディクシー・チックス(※)も。
革命やら反戦に信念持って活動していると、わりとみんなに理解を得られているのが通常であったとしても、時には大勢の(に見える)人に切り刻まれるときもある。
その大勢は国家権力だったり、そのお抱えのメディアであったりする。
体制内の労働組合であったりする。
時には、体制側に与する労働者であるときもある(これが一番キツイと思う)。
でも、あとで絶対、自分は間違ってなかったと思える日は来ます。
(ってディクシー・チックス聴いてて思ったから今日の記事タイトルになる。)
今日は仲間の団体交渉の日でもあったから・・・その人も「自分は間違ってない」と闘ってきたと思います。
みんなの力で、体制内組合も、資本も、権力者も、乗り越えて、がんばりましょう☆☆☆
労働者階級の闘いには、そうできる普遍性があるから!
(※)米国の女性カントリー・トリオ「ディクシー・チックス」がブッシュ批判をして体制側から大バッシングを浴びました。
彼女らは「Not
Ready to Make
Nice」(「愛想良くなんてできない」という意味)という歌で意思を表明し続けた。
いまやブッシュは世論の批判にさらされ、彼女らのその歌は去年グラミー賞を受賞した。
(賞を取ることが素晴らしいとは思いませんが、社会の潮目の1指標として。)
関連ブログ記事:
2007年4月6日「ディクシー・チックス応援します!」
http://aanduosaka.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_6a59.html
「Not
Ready to Make Nice」の原文、日本語訳も読めます。