今日の祐樹コーナー

9月16日(日)
サオリ・ママに5日遅れで、祐樹くん、今日午前に退院しました

9月14日(金)

9月13日(木)

9月12日(水)
今日の祐樹 いつもはぐっすり寝ているのに今日は目を
ぱっちり開けて起きています。
「でも眠い」 いっぱいおちちを飲んだのでゲップ。笑って
いるようですがゲップしています。
「食い物くれー!!」と暴れる祐樹くん。 体重測定をするところです。3000gだったの
がいまは3500gあります。
体重測定を拒否してます。 のめのめー!
「ハー」とお腹いっぱいのご様子

9月11日(火)
サオリ・ママ、一足早く退院。祐樹くんは、あと3日ほど検査入院。
その間は、毎日、母乳を与えに行きます
サオリちゃんからオチチをもらってぐっすりの祐樹くん。 ドアップ! へんな顔。
看護婦さんが手にドラエモンをつけてくれました。 サオリちゃんと祐樹くん。
「この花ふぶきがみえねぇかい!」手が小さいけど
気合入っています。
すごい勢いで飲んでます。
「おっぱいくれ〜!」と叫ぶ祐樹くん。 おむつ変えたらスースーして泣き喚いています。
目が開いた! こっち見てます。

9月10日(月)

9月8日(土)

9月7日(金)
昨日の勇気くんの様子を聞く。今日の体重は3040g 保育器の外からあやします
「早く出て来たいね」と声をかける こちょ、こちょ…
まだ臍の緒が付いたまま 小児病棟は午後1時半〜3時まで両親だけ面会できます
晋くんパパ、嬉しそうです 祐樹君、パパの指をつかんで離しません
鼻についてるのはミルクを入れる管。明日から母乳です 看護婦さんが「花のマーク」を付けてくれました
お乳の代わりにパパの指をハムハム。明日までお預け ツムジが二つあります
漫画「のだめ」に出てくるマングース人形であやしてます 小児病棟のラボはこんな感じ
富田祐樹の名前が書かれてます アッ! 目を開けて、こっちを見た!
サオリちゃん、病室でも元気です
病室にはトミタさんのお花とトミショウからもらった
ヌイグルミ
午後3時、そろそろお別れの時間です
← ちょつと悲しそうなママ。

  「また明日ー」と何度も行って

 今日の面会は終了です。

 退院したら忙しくなるぞーっ!

 がんばりまーす!

9月6日(木)

9月5日(水)
今朝、沙織ちゃん陣痛で病院へ!
12時20分、男児、出産 
沙織ママと祐樹(ゆうき)です
赤ん坊ってホントに真っ赤です 
晋君出産20 分前に沖縄から到着!
祐樹くんをみつめるふたり
保育器の中の祐樹くん
   
晋くん到着。   出産まで我慢していたチョコレートに感激

9月に僕とサオリちゃんの子供が生まれてきます。

最初「樹里」という名前にしようと思っていました。おばぁやおじぃたちが辺野古の闘いのことを「一本一本、木を植えていく闘い。それが育ち大木となり、森となり、基地建設を阻む」と言っていました。一本、一本の木を植えている里から生まれる子供だから「樹里」にしようと思いました。

しかし、話し合って変えました。

本当は子供が生まれたら祐治さんに真っ先に見せに行くつもりでした。それが叶わない悲しみと僕たちが祐治さんの意思を引き継ぐ決意として名前を「祐樹(ゆうき)」とします。

おじぃ・おばぁが言っていた「樹」の話し、そして祐治さんの「祐」の字をとりました。

祐治さんと共にあった7年を引き受け、僕は人生を賭けて基地建設を阻止します。

「ジユゴンの家」のホームページから転載
★”祐樹(ゆうき・男)”が今日午前12時20分に誕生しました!
皆さん、お久しぶりです。日誌が書けなくて本当に申し訳ありません。多忙であるといえば言い訳になりますが、ご容赦くださいませ。

 9月5日の午前4時30分ごろ東京にお産のために滞在中のサオリちゃんから沖縄の僕に電話がありました。
 「産気づいた・・・。」とのこと。そうとう痛いみたいで口ごもっていました。
 何かそんな予感がして、夜眠れずにいた僕にとどいた一報でした。すぐに車に飛び乗って那覇に向かいました。
 いつもは合計して8時間〜10時間かかる東京までの道のりを6時間でたどり着いたのは初めての経験でした。途中で何を考えていたのか忘れるほど急いでいました。
 午前11時ごろ羽田空港に到着すると「すでに頭が出てきている」との電話があり、「これは間に合わないかな?」と思いつつ病院まで
の道のりを急ぎました。

 病院に到着したのが午前12時ちょうどぐらいでした。祐樹が生まれたのはそれからたったの20分後。一息つこうかと思っていたら「おめでとうございます!」ときたもんだから飲んでいたものを吐きそうになりました(失礼)。

 出てきた祐樹くんは3170g。僕が抱くとバタバタと暴れて何やら意思表示をしていました。その後、もっと泣き喚くのかと思いきや辺野古の祐治さんや当山さんばりに黙り、落ち着いていました。

 今は感染症の恐れなどがないかしっかりと検査するために小児科のラボに入っています。祐樹くんはラボの中が狭いらしくバタバタとしています。サオリちゃんと二人でおでこに手をあててやると泣くのをやめスーッと眠りに入っていました。

 今は「ただただうれしい」の一言です。
 子どもが出来たことを二人で話し合ったときには色々と考える時期もありました。
 経済的にも大変な我が家に子どもを授かるということもありましたが、何よりも戦争の時代の今に子どもを産み落とすことが果たして良いことなのだろうかと二人で話し合った時期もありました。

 しかし、今はこんなに幸せな子どもが他にいるのだろうかと感じています。僕たちにはお金はホントっっにない。けれど人間関係だけは本当にたくさんある。子どもは親の所有物ではなく、今まで僕たちが作ってきた人間関係のなかで「皆で育てていく子ども」にしたいと切に願っています。

 この時代に我が子を産み落とすからにはハラをくくらなければいけない。
 基地建設は絶対に止める。生活・仕事を破壊し、生きにくい社会のなかで戦争をやろうとする時代を世界を変え、新たな世界を創っていけることに確信を持つ。そのために名護「ジュゴンの家」辺野古「命を守る会」の闘いを人生を賭けてとことんやり抜こうと二人で決めました。

 何よりも”祐樹”という名前に込めた僕たちの思い。今年の5月に亡くなった金城祐治命を守る会代表の”祐”、おばぁ、おじぃの”樹
”の話と祐治さんを追うように亡くなった反対協元代表の新城春樹先生の”樹”の字をいただいたその名前には僕たちが次代に闘いのなかで亡くなったお二人の意思を引き継ぐという決意が込められています。

 次代にこの時代を押し付けるのではなく、僕たちの世代でこの世界を絶対に変える、変えられるという意味での決意です。

 今、沖縄は戦後最大の攻撃にさらされていると感じています。
 「那覇空港軍事化」「泡瀬干潟の軍事化」「浦添軍港建設」「金武キャンプハンセン内訓練場建設」「辺野古基地建設」「高江ヘリパッド建設」「下地島滑走路自衛隊使用」「”集団自決”事実の教科書削除」「首切り・リストラ・民営化」など。

 あげただけでもものすごい状況にさらされています。地域・職場・教育の現場を同時に破壊する政府からの攻撃です。
 しかし、それに対し、各地で闘いが巻き起こり、一歩も退くことなく行動が開始されています。

 政府は教科書の集団自決の事実削除の問題でも「沖縄の最後の要」とも歴史的に言われてきた高教祖(高校の教職員組合)・沖教祖(小、中の教職員組合)の先生たちに教育の現場で「嘘を教えろ!」と強要し、沖縄の平和教育の礎を築いた人たちを潰しにかかりました。しかし、現実はどうでしょう。沖縄では9月29日(午後2時より)の宜野湾海浜公園で与野党を巻き込んだ大県民大会が開催されようとしています。安倍政権が沖縄につき立てた刃は逆に先生たちの行動によって安倍さんの喉元につきつけられているではありませんか。

 政府は辺野古基地建設においてもおじぃ・おばぁの10年間に及ぶ座り込みに二度も(97年市民投票・05年基地建設案が一度白紙に。)敗れています。本当に少数だと思われてきた住民の意思は島全体・全国・全世界を巻き込み世界最強の日米政府に打ち勝ってきたのです。

 この事実は決して「自然発生的に起こったのではない」ということは重要だと考えています。そこには必ず人々が共に正しい方向へと向かうために議論し続け、行動し続けた人たちがいるのだということです。
 その小さな試みの積み重ねが実際に日米政府の根幹を揺り動かすところまで持ってきているということです。
 
 職場で「基地建設に反対するヤツに明日はない」と脅してきた政府。「基地建設に賛成すれば職をやる」と幻想を振りまいてきた政府は辺野古の座り込みが10年にも及ぶ間にその化けの皮を剥がされてきたのです。もう基地建設反対の声を抑え込めなくなってきた。だからこそ、辺野古集落内に施設局・派出所(常時8人)まで建設して地域で分断工作のために動きまわっているのです。

 金をばら撒いても、一時的な職をばら撒いても税金・年金を搾り取って、野宿者・ネットカフェ難民・自殺者・ワーキングプアが増え続
ける状況は一切変わっていません。「戦後最大の黒字」などと安倍首相は言っていますが、それはどこからきた金?どこに消えた金?

 首切り・リストラ・民営化で搾り取った金を一部の企業が牛耳っただけの問題ではありませんか。安倍政権のなかで大物政治家の金の問題が終わらないのはこういう事情を知って開き直る悪(ワル)しか今の政権を支えられないと経済界が考えているからではないでしょうか。

 もう、僕らの世代はそんな幻想に騙されない。参議院選挙で自民党が大敗したのはその怒りを形にした氷山の一角に過ぎないのです。爆発するのはこれからです。

 基地建設を確実に止めなければならないと考えるときにこのような状況を踏まえながら職場や地域で「闘えば必ず勝てる」という確信を作り出していかなければいけないと感じています。誰もが怒りを感じているこの時代、その怒りに正しく火をつけるために一緒に考える・議論する存在が必要とされていると感じています。それは特別なものではなく、地域・職場のそれぞれの立場で誰もが出来うる第一歩なのではないでしょうか。

 「となりの人」と基地建設について議論し、この世界を自分達の手でどう変えていくのかを現場での闘いなどで行動しながら議論したとき、地域で、職場で生産点を持っている人たちは非常に具体的に思い描けるはずです。戦争や利益の追求だけで成り立つ社会のそうではない新しい社会を。

 これは絵空事でもなんでもなく、世界中で始まっている大きな動きだと辺野古で感じています。自分達だけではどうにもならないなら、仲間を増やさなければ、そのために国境線を越える必要があるのならそれもやりましょう。

 辺野古で多くの人々に出会うなかで学ばされ、多くの希望を感じずにはいられません。
 僕がこの時代にお金がなくとも子どもを産み落とそうと思ったのはそういった希望と確信を辺野古で金城祐治という偉大な人間のもとで学ばされてきたからだと感じています。

 政府は強行的にやればやるほどに自分の首を締め上げています。ガタガタなのは政府のほうです。抵抗をやめるのは政府のほうです。 次の世代の子どもたち・孫たちのために絶対に基地建設を阻止しましょう!
ただ今、「街」で出産祝い・パーティー中!
2度目の乾杯
お祝い食事


2007年日誌
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